刻羽空也が一日一題を目標にゆるーい感じでお題を消化してました。(過去形)

投げるところに困った物を取り敢えずでぶん投げる。


パラルド 母の日 ゼバトとエス
「ただい、ま――」
 家に帰って、最初の一声。それを言い終わるか終わらないかの瀬戸際で、シーセの声がうんざりした溜息へと塗り変わる。気怠げに掻き上げた前髪の下、左の片目が青から赤に色を変えた。
「なにしてんの、あんた」
「…おかえり」
 ツカツカとソファーに歩み寄り、ふて腐れたように寝転がっているゼバトを背もたれ越しに覗き込む。近付いて声を掛けなければ定型句の一言を返すこともしないが、此処までされて無視を決め込むほどではないらしい、と値踏みするような無遠慮な眼差しでゼバトを見下ろすエスの、背もたれに肘を突いて頬杖を突いたその顔には、誰が見てもはっきりと読み取れそうな程でかでかと「面倒くさい」と書いてあった。
 ゼバト・セルウォスは、王に次ぐ位に就く者として育てられた男だ。厳格な躾と教育を施され、その叩き込まれっぷりと言えば「確かに人より勉強の時間は多かっただろうが、取り分けて厳しくはなかった」とさらりと口にしてしまう程だ。手厚すぎる教育を与えられる以前の養育環境に問題がありすぎたが故に、世の大半の子供が息苦しさを覚えるであろう英才教育になんの苦もなく適応し、常に背筋を正し続けることを至極当たり前のことだと捉え、例え身内しか見ていないプライベートな場であろうとだらしない格好をすることなく、いつだって皺のないシャツをきっちりとボタンを留めて品良く着こなす大人に成長した。礼を欠かさず、温和に構え、あからさまに不愉快な顔をすることを慎み、如何に自分のマナーが完璧であろうと他の不出来を論うこともない。
 そんな男が、仕立ての良い服に皺が付くことも構わずリビングのソファーでふて寝をし、帰ってきた家族に自ら声を掛けることをせず、直接声を掛けられても目も合わせず、機嫌が悪いことを声でも態度でも表情でも隠しもしていない。天地がひっくり返りでもしないと有り得なかった光景が今此処にあるわけだが、なにせ此処はこの世でもあの世でもなく生者も死者も肩を並べて青春を謳歌することが許される街だ、既に天地は裏返っている。
 兎も角、ゼバトがこうして荒れるときは十中八九父親に関することと相場が決まっていて、そんな時はゼバト自身父親として振る舞えなくなる。故に、息子であるシーセは距離を置き、自分達の関係を親子だとは思っていないエスが表に出る、という家庭内ルールがエスの独断と殴り合いの喧嘩の末に決定している。
「なんか言えよ」
「…私が何を思っていようと、お前にはどうでもいいのだろう」
「うっわ、うっざい鬱陶しいめんどくせぇ。こっちはどうでもいいのにわざわざ聞いてやってんだよ調子のんな」
 エスの口癖を引用しながら盛大に拗ねている大人気ない大人にも仕方なく付き合ってやらなければならないのだ、家庭内不和対処担当として手を挙げてしまったからには。苛立ち紛れにボスボスとソファーの背を叩くが、転げ落とす勢いで背を蹴っ飛ばしたりはしていないので穏やかで平和な日常風景、と呼べる範疇だ。
「で?」
「…あまり、言いたくない…」
「はぁ?俺が聞かないんじゃねーじゃん」
 自分が言いたくないだけなのを相手が聞いてくれないから言わない、に責任転嫁していたのかと、エスが憤りを通り越して呆れ果てる。ゼバトはと言えば、よっぽどな態度をとっている自覚もあってか、相変わらず起き上がらず顔も上げずで振り返らないままだ。が、存外根気よく注がれる視線に根負けしてか、たっぷり言い淀みながら心底言いにくそうに口を開く。
「お前達が、母の日が近いと。楽しげに、準備をしているのが。…羨ましい」
「俺はやってねぇ」
 ゼバトの発言内容を精査する前に、間髪いれずに「お前達」の内訳はシーセとキーフェルであって自分は含まれていない勘違いするな、とエスが訂正を入れる。ゼバトが困惑がちな「…そうか」の一言を呟く頃になって漸く、エスが怪訝そうな表情になって首を傾げる。
 ゼバトは、実母を殺した。幼少期の事故であり、殺意を持っていたわけではない。だが成長し客観的に実母の人となりを理解したとき、殺害も妥当と言わざるを得ない人物であったことを認識し、今となってはそれなりの嫌悪感も苦手意識も持っている。合わせる顔がないのも事実だが、それを差し引いても会いたくはない、と溢すほどだ。
 羨ましい、が何処に掛かっているのかを推測するとき、「自分も実母と仲良くしたい」ではないことはエスにも想像がついた。であれば、「母の日だからとあれこれしたくなるような相手がいて羨ましい」が正解だ。
 なんだ、だったら簡単なことだろ、と。
「ジジイの嫁に贈ればいいじゃん」
 なんの淀みもなく、これで一件落着すっきりした、とエスが言い放った解決策に、ゼバトの時が止まる。ジジイ、即ちエスから見た祖父、ゼバトの実父。その嫁、としてエスが差す相手は、実父と死別した前妻のことであり、実母の姉であり、実母に毒殺された被害者だ。
「…あ?『後妻なら母親になることはあっても前妻はならない』?知るかよそんなの、順番とかどうでもいい」
「…シーセもいるのか」
「なに?聞かれたくなかった?見りゃ分かんのに目合わせなかったあんたが悪い」
 リアルタイムの自問自答が発生するからには、表に出る役割を代わっただけでこの場から離れてはいなかったのか、と驚きに目を開いたゼバトがやっと振り返る。小難しいこと言うな、と口を尖らせていたエスが、ざまあみろと楽しげににんまりと笑う。左目の赤と右目の青、半分前髪で隠れていようが、二色揃っていることは下から見上げればすぐに分かることだった。
「羨ましいならやりゃーいいじゃん。女向けの贈り物があれこれ並んでるわけだろ、違いとか分かねーけど恋人向けじゃねーやつ。母の日って書いてあるタグだけ取れよ、そしたら母親じゃなくてもいいだろ」
 母の日を前にして盛り上がっている店を渡り歩いて贈り物を吟味する、そんな遊びがしたいならこれで解決するだろう、なにか問題があるか、とエスが言い放つ。ぐだぐだうじうじして馬鹿じゃねぇのか簡単なことだろ、と突き放して侮蔑するニュアンスが声音に含まれてはいるが、エスにしては「そういうわけならこうしたらいいんじゃないか」の提案が丁寧だ。言葉を尽くして親身に寄り添っている、と言っても過言ではない。
 それが響かないほど頑ななら、ゼバトは家族の目に付く恐れがあるリビングでふて腐れてはいなかった。誰からのどんな言葉も聞きたくないなら、寝室の隅っこにでもいただろう。
「エス」
「なに」
「…具体的にどうすればいいか、相談に乗ってくれないか」
「やだ」
「エス!?」
「絶対俺じゃないだろ!もっとまともな奴に聞け!」
「…ああ、その。成功を案じてくれて、ありがとう…?」
 めんどーくさーい、と気怠げにするのではなく、人選ミスが明らか過ぎるだろう馬鹿なのかと語気荒く拒絶するのは。話半分に適当に聞いて適当なことを言ってなんの成果も得られなかったが「相談に乗る」という体は成して義理は果たした以上終了、と放り出すのではなく、ちゃんと成果を得られる相手を選出し直せと指摘するのは、つまりそういうことだろうかと。
 漸く起き上がって顔を見て話しをして、人の良さそうな曖昧な笑みを浮かべて首を傾けるゼバトがどうにも腹立たしくて、エスは無言で一発殴った。物騒な照れ隠しだなと苦笑で済ませられる範囲の力加減だったので、今日は殴り合いにはならなかった。
  • 刻羽空也
  • 2022/05/08 (Sun) 13:44:49

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