刻羽空也が一日一題を目標にゆるーい感じでお題を消化してました。(過去形)

投げるところに困った物を取り敢えずでぶん投げる。


佐狐兄弟 兄の服装の話
 今まで見ないように避けてきた、兄の出ている記事を読んだ。目を背けて無いことにしてしまったものと向き合わなければいけないような気がして、パソコンひとつで手が届く範囲のものは、ネットニュースから雑誌のバックナンバーまで一通り。
 兄の発言のどの程度が建前でどういう感情でいるのか、隣にいれば大半の人間よりは正しく窺い知れるだろうそれらも、文字だけになってしまうとうまく読み取れないことを思い知った。画面越しの遠い人、の感覚になってしまった兄を眺める侘しさを実感して、自分の精神衛生上の観点からいえば避けてきたのは適切だったようだと苦笑しながら、「大抵のことは一人で決断している」と語る兄の孤独に思いを馳せる。「自分で選んだことには自分で責任を持つ。翻って、自分が責任を持つべきことを他者に委ねない」。それは確かに、人の上に立つ者の言葉として力強く、清く正しく、気高く見える。けれども、全てのことを一人で背負い込んで欲しくはなかった。重たい物は、誰かと分け合っていて欲しかった。とっくに結婚して幸せになっていると、公私を支えてくれる安らぎの場を得ていると勝手に期待していた兄がそうではなかったと知ったところで、会いに行ったり連絡を取る選択肢を持ち得なかった自分にしてやれることは、何ひとつなかったけれど。
 画面の中の兄は、どの写真でも魅力的な人物に見える。そう見せる方法を知っているし、掲載媒体ごとに読者層の好みを分析してコーディネートのテイストを変えることまでしている。そういう細やかな視野と努力が自慢の兄だと誇らしく敬意を抱く点で、頑張り過ぎではないかと心配になる点でもある。ただ、「和服が似合う老舗の若社長」のブランドイメージを保ちつつ、伝統的な着こなしからかなり攻めた現代的な着こなしまで幅を持たせている様を見るに、あれやこれやと着飾ること自体は好んで楽しんでいるのではないかと思う。好きでなければ此処までやれないだろうと感じるほど、兄の身に付けるものは着物の柄から小物まで多岐に渡っているし、その組み合わせのどれもが間違いなく似合っている。行動も美学も外見の整え方まで格好良いとなると、いよいよ欠点が「志高く居続けられてしまうぐらい大抵のことがうまくできてしまう」だけになってしまう、と言いかけて、「素直じゃなさ過ぎて性格が悪いとかもあったな」とは思い直した。
 そんな兄と休日に二人で会う約束をしたとき、画面越しの写真や仕事中と同じく、兄はやっぱり和服だった、が。一目見て、物凄く上等だけれども、接客をするときには絶対に着ないであろう、格式と伝統を好む気難しいご老人と会うときなどには宣戦布告の意味合いでしか着ていけないだろう、そういう、しかし奇抜さを放っているのではなく、ファッションの雰囲気としては落ち着いた品の良さを纏っている、染めと織りと刺繍を組み合わせたグラデーションが美しい柄物の、物凄く上等な着物に度肝を抜かれた。思わず口を半開きにしながら生地の質感をまじまじと見てしまって、それはもう得意げに楽しげにニヤリと笑みを作られて、「参りました」と言うほかなかった。
 洋装もそうであるように、和装も価格が高ければフォーマルという訳ではない。例えるなら、「三つ星レストランのシェフが一流の素材を使って本気で作ったハンバーガー」のようなものが存在し得る。どうぞナイフとフォークではなく紙でくるんで手掴みでお召し上がりください、と言われても価値が分かるだけに尻込みをするような、知らなければ千円ちょっとの洒落たバーガーショップのつもりで手に取れるかもしれないが、サービス料だけでその数倍は行くと分かっているだけに腰が引けてしまう、そういう類いの物を、兄は「休日の外出なのでカジュアルにしました」と涼しげに着こなしてやって来る。基本的に男の着物と言えば無地か総柄で、何処かに色鮮やかな花をあしらうとしたら羽織の裏地だ。Tシャツで色無地をベースに裾の方にだけ幾つかの色を滲ませてあったら「デザインTシャツにしては地味で大人しい」の扱いになるだろうが、それと似たようなことを着物でやったら地味でも大人しくもない。洋装の若者の中に並んで違和感無く溶け込んでいたとしても、全然全く、大人しくはないのだ。
 次に会った時の兄は、打って変わって着物は大人しかった。が、羽織の裏地は「強い」という言葉が似合うぐらいに華やかだったし、帯からちらりと覗いた根付けと扇子その他諸々小物の類が、うっかり机の上の飲み物を倒して汚してしまって弁償の必要に迫られたりなんかしたら大抵の人間は破産するんじゃないかと気が気ではない、そういうランクの物だった。席について一息吐いたところで気が付いて肩が強張っていく様を、やっぱり兄は楽しそうに目を細めて眺めていた。
 その次に会うときにはもう覚悟ができていた。兄は弄ぶ気で来ると。如何に小心者の心を震え上がらせるかの遊びをされているのだと。そういう遊びを仕掛けたら気が付いてくれるだろうという信頼を寄せられるのが満更ではなさ過ぎるが故に、諦めるほかなかった。「僕は驚かしたら驚かした分だけ顔色が悪くなる素直な玩具です」の看板を首から提げている心地になるほかなかった。休日に人と待ち合わせて遊びに出ることを身支度の段階から楽しんでくれているなら、それは本当に、願ってもないことだ。ただ、もう少し此方の心臓には優しくして欲しい、そういう気持ちも大いにある。
 そして、しかし。ある日の兄は、予想を裏切って洋装だった。勿論、ブランド物ではある。軽やかに羽織られたジャケットから革靴に至るまで間違いなく五桁の品ではある、が、逆を言えば五桁なのだ。腕時計も付けているが気兼ねなく普段使いできる範囲のもので、何かあっても弁償できそうな総額でトータルコーディネートが完了している。いやしかし何かしら仕掛けがある筈だ、罠がある筈だ、と、動揺に飲まれ切らないように、流されきってなるものかと悪足掻きをしながら「今日雰囲気違うね、どうしたの」と問い掛けて。人を値踏みする目をしながら敢えてゆっくりと口を開く兄に勝てるわけがないのだと、すぐに理解させられた。
「お前の服の傾向が分かったから、合わせてやろうと思って」
 言われて見れば。パッと見て全身の総額を大凡想像できたのは、馴染みの雰囲気の馴染みの価格帯の服で揃えられていたからだ。つまるところ、「日頃好んで眺めていそうなブランド」を完璧に読まれている。その上で、お揃いにはならないが隣に並んで歩いて違和感のない、勿論兄に似合うことが最優先されたコーディネートを仕組まれた。
 「隣に並ぶことを前提に考えてくれた」のが明確で、「此方のことをちゃんと見てくれている」実感を与えられて、「好みの服を兄が着てくれている」状況でもある。今までとは違う方向で心臓が持たない。見慣れない眼鏡の奥で、兄の目がしてやったりと心底楽しそうに笑っている。
「あの、その、眼鏡はどうなさったので…?」
「お前が掛けてないから、僕が代わりに掛けてやろうかと。伊達眼鏡の一本ぐらい持っていてもいいだろうし、時間つぶしてる間にそこで買った」
 他の予定との兼ね合いでやむを得ず早めに着いてしまったので気まぐれで現地調達した、と。確かに昔見たことがあるような、洒落っ気の薄い、地味で無難なフレーム太めのオーバルの眼鏡を採用することでハイブランドの輝きを抑えて柔らかい雰囲気を構築した兄は、そうして演出された隙から色気を醸し出してさえいる。語彙がサブカルチャーに染まった部下達が此処にいたら「えっちなお兄さんがいる」と歓喜しそうだなと現実逃避気味に考えながら、その語彙で言えばあの眼鏡は「弟の概念アイテム」になるのだろうかとも考えてしまって顔を覆う。公衆の面前でなければ膝を突いて崩れ落ちていた自信がある。
「行くよ。いつまで固まってるの」
 映画の時間があるんじゃないの、と不満そうに兄が言う。人のことを動揺させる気でやっておいて、まんまと動けなくなったところを見て満足したらこれだ。犬と猫なら猫派だが、これをご褒美だと思うほどには調教されたくないが逆らえないので手遅れかもしれない、と思いつつ、「今行くよ」と、置いていくことはせずに待っていてくれた兄に返事をした。
  • 刻羽空也
  • 2023/06/03 (Sat) 23:51:38

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