刻羽空也が一日一題を目標にゆるーい感じでお題を消化してました。(過去形)

投げるところに困った物を取り敢えずでぶん投げる。


佐狐兄弟 化け狐の夢を見た
 弟と二人で食事をした。
 僕はノンアルコールで、弟は酔いすぎないようにと気を付けながらちびちびと日本酒を飲んでいる。そんなに気にするんだったら最初から飲まなければいいのにと呆れたら、それでも「美味しい食事には酒が合うし、兄弟水入らずで酒を飲むシチュエーションを味わいたい」のだと反論された。あまりにもしみじみと噛み締めるように言うものだから、「そういうものか」と納得してしまって、「そういうものです」で、その会話は終わった。
 仕事の話、家庭の話、最近見た映画の話。目の前の食事の話と、いつの間にか食の好みが変わっていたのを「それが歳を重ねたということだろう」の理屈で雑に語っていいものだろうかの話。気を遣わない間柄であるが故の、思いつくままで取り留めもない、雑多な会話。
 散々近況の話もしただろうに、食事も終いになった頃に改めて、弟は「元気?」と聞いた。今まで何を聞いていたんだ、顔色も箸の進みも見ていただろうが、その目は節穴かと文句を言いながら顔を見て。
 眼鏡越しの眼差しが、あんまりにも、慈しむように、愛おしむように、柔らかく微笑んでいたから。
 これが夢だと、気が付いた。
 そろそろ行かないと、と。そんなことを言いながら席を立つ弟の手を、掴む。いつかの面影を残したままの、大人の男の手。知り得ない筈の、僕と同じだけの歳を重ねた「佐狐和々」。
 どうりで酒を飲む量を気にするわけだ。これから初恋の人に一世一代の告白をしに行くのに、赤ら顔では格好がつかない。「素面で言えよ意気地なし」と憎まれ口を叩きながら、そんな大事な場面の前に、わざわざ顔を出しに来てくれたことを想う。
 振り解かれたわけでもないのに、掴んだ筈の手はするりと手の中から抜けていった。よく手入れされた毛並みの、ふわりとした感触だけが残っている。
 狐目の男が、「暴くなよ、折角うまく化けたのに」と。そう言って、困ったように笑っている。
 踵を返そうとした男に、「僕も真似をしていいか」と声を張り上げる。爪先を僕がいない何処かへ向けたまま、眼鏡越しに見慣れていたのと同じぐらいに目を丸くして、弟が振り返る。
 お前に言わなかったことがある。言えないままだったことが、此処にある。それをいつか、伝えに行くから。いつかのその日を、道標にして生きていくから。だからどうか、僕の道の先にいてくれないか。
 引き止められないと分かりきっているから、行かないでくれとは言わない。何処へなりとも行けばいい、僕を置いて行けばいい。だけどいつかは僕も其処に行くから、別れ道で待っていてくれ。僕の話を聞いた後は、またこうして、別れるのでいいから。
 擽ったそうに笑って「分かった」と頷いた弟に、「約束したからな」と念を押す。「来たんだから信じてよ」と竦めた肩で風を切るように、しゃんと背筋を伸ばして歩き出す。あんなに頼りなかったのに、いつの間にか僕よりずっと逞しくなった背を、閉じた扉で見えなくなるまで見送った。

 ぼんやりと天井を眺めて、目覚ましが鳴り出そうとしたのを止めながら漸く、身体を起こす。
 枕元の携帯電話を手に取って、もう何を送っても返事は来ないだろうメッセージアプリを開く。そういえば「食事にでも行こう」に「仕事が落ち着いたら連絡する」の返事が来てそれっきりだったなと読み返して、弟の「信用してくれ」の言葉を振り返る。確かにこれは、約束を違える男ではないと評価してやるべきだったな、と。画面が滲むぐらいに、笑って、泣いた。

 言わなかったけど、言えなかったけど。
 やっぱりお前の「行ってきます」の笑顔は、どんな空より眩かったよ。
  • 刻羽空也
  • 2023/06/13 (Tue) 22:08:18

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